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さようなら、おばあちゃん

ちょっと、今回は内容や表現が読みづらいものになってしまっていると思います。
要は人の生死に関わるものですので・・・
なので、そういった内容を避けたい方は、お読みにならないでください。




今日というかもう日付は変わってしまっていますが、20日の夜中に新潟から帰ってきました。

日曜日(18日)の夜に、母親から電話がありまして、

「7時半におばあちゃんが目を閉じました」と。


1ヶ月ほど前にもおばあちゃん(あえて祖母とは書きません)に関しての記事をちらっと書いたのですが。

もう2年ほど前からいわゆる認知症というものにかかり、体も弱って施設に入っていたおばあちゃん。

年が明けてから重い肺炎にかかり、一度は峠を越したのですが、

「春は越せないだろう。もう施設にも戻せないので、病院で看取ります」

と病院側からも言われていました。

病院に入ってからは会いに行く機会もないままだったのですが、両親の間でも

「生きているうちにふぃんしゅんにも会わせておいたほうがいいのでは」

「でも、今の弱りきった姿を見せるのもしのびない。最後に覚えている姿はいい姿のままでいさせてあげたい」

といったような話し合いもされたようですが・・・

結局去年の夏に会ったのが、私とおばあちゃんとの最後になってしまいました。


ちょうど両親がそろって新潟に行く予定の日で、向かっている途中で病院から危篤の連絡が入り、母は最期を看取ることができました。

ゆーとりんの卒園式も終え、入園・入学にはまだ間がある、私がすぐにでも行けるような時期を選んでくれたかのようなおばあちゃんの最期でした。


連絡を受けたのが日曜の夜だったので、どんなに早くてもお通夜・お葬式は20日以降になるだろうと思っていたのですが、

月曜日の早朝に妹から連絡が入り、『月曜日の夜にお通夜、火曜日に告別式』と決まったとのことで、もうほんの数時間で荷造りをして、妹たちや夜勤明けでそのまま来た叔父と合流して、そのまま新幹線に飛び乗りました。

まさに『昨日の今日』だというのに、母に指定された葬儀場につくと、控え室から会場からもうすでにととのった状態。

そしてそこここで「こんな時じゃなきゃねぇ・・・(ゆっくり旧交を温められるのに)」といった挨拶を交わす、何年も会っていなかった親戚たちの姿もたくさんありました。

最初、まだ控え室に寝かされていたおばあちゃんの顔は安らかで、きれいにお化粧もほどこされていて、なんだかもう目を覚まさないなんて、そんな実感がぜんぜんわきませんでした。

怒涛のように着いてほんの2時間程度でお通夜が始まることになったのですが、直前にまなちょんがおばあちゃんの遺影を落としてしまい、ガラスが割れるなんていう大ハプニングまで発生して、

まなちょんは何かやらかすのではないかという心配が、しょっぱなから現実のことになってしまいました。

私としては、おばあちゃんは落ちちゃうわ、自分の息子がしでかすわで、すでにそこから悲しみとあせりで涙目でした

一応まなちょんの名誉のために書き足しておくと、まなちょんもいたずらやわざとやったわけではもちろんありません。

その遺影もロビーで、故人を偲ぶコーナーみたいなものが作られていて、そこに飾られていたもので、しかも指揮台とか譜面台のような細い1本脚の不安定な台に置かれていたものだったんですね。

そして、その横ではおばあちゃんにまつわる写真で作られたスライドショーがモニターにうつされていたんです。

そこにちょうど、ひ孫であるまなちょんたちが写っていたので、まなちょんはそれを見ようと近づき、横にあった棒をつかんだら、そこに遺影があって、落ちてしまった。ということなんです。

まぁ、でも・・・そこの会場でも前代未聞の出来事だったでしょうね・・・。

そんな本当にあわただしい中、あっという間にお通夜が始まり、あっという間に終わっていきました。

まなちょんはもちろん何が行われているのかもよく分からず、到底じっとしてはいられませんでしたが、一応騒ぐこともせず、なんとか過ごすことができました。

ゆーとりんは、大体どういうことかも分かってくれたようで、終始おとなしく、読経も聞き、お焼香も済ませていました。

私たちはそのまま一晩、おばあちゃんの家に泊まり、次の日は昼から告別式に向かいました。

仕事を終えた妹のだんなさんはそのままこちらに向かって真夜中に、Jたんも夜中に自宅について数時間仮眠をとっただけで、早朝出発で新潟まで来てくれました。

4人で告別式に参列し、そのまま火葬場へ向かいました。

私としては、おばあちゃんを焼いてしまうということが受け入れられず、最期のお別れでもなかなか離れられず・・・

母親(おばあちゃん)を亡くした母ですらそこまで泣いていないというのに、その母の前でわんわん泣いて、「焼くのが早すぎる」と訴え続けてしまいました。

なんというか、やっぱり姿かたちがなくなってしまうというのは、本当に受け入れがたかったんです。

しかも亡くなったのがほんの2日前だというのに。

それでも、言い方は悪いですが、そんな身内の感傷になどお構いなく、ビジネスライクに棺は納められてしまいました。

その後は控え室で待ちつつ、親戚や参列してくださった方々とのあいさつ回り。

2時間ほど経ってから、みんなでお骨拾いをしました。

つくづく人の死はあっけないというか、土に還るということは、こんなに早く済んでしまうものなのだなと・・・

でも、30年も前に亡くなっているおじいちゃんのお骨拾いのこととかも鮮明に覚えているんですよね。

そしておばあちゃんとのいろんなことや、私を呼ぶ声なども、はっきりと覚えているんです。

だから、もう会えないけど、やっぱり覚えている限り、おばあちゃんは私の中で存在し続けられるんだなとも思いました。


母に対しても厳しかったおばあちゃん。孫の私たちにもそれなりに厳しかったですが、私は大好きでした。

私が何か間違ったことをして「ぜったいに○○したもん」と言い張ると

「物事に『絶対』ということはないのよ。『絶対』と言えるのは、ただひとつ。『人は絶対にいつか死ぬ』ということだけよ」

と言っていたおばあちゃん。

いつまでも元気で、距離的には近くはなくとも、そばにい続けてくれる存在だと思っていました。

でも、やっぱり『絶対』を覆すことはなく、90歳で旅立ってしまいました。

正直ね、こういうことを書いていたり思い出すとやっぱり泣いちゃうんですけど。

だけど、仕方ないけどやっぱりお別れなんです。

さようなら、おばあちゃん。

今までいろいろとありがとう。

30年ぶりに会うおじいちゃんと、天国で仲良くね。


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